八紘一宇

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八紘一宇―その言葉の原点を考える

「八紘一宇」この言葉を考える時、私達は、その言葉がどこから生まれ何を意味し、歴史の中でどのように用いられてきたのかを分けて考える必要があります。原点は『日本書紀』神武天皇紀にあります。

そこに八紘一宇という四字熟語がそのまま記されていません。「掩八紘而為宇」一節をもとに、明治の日蓮主義者 田中智學(ちがく)先生が八紘一宇という言葉を作りました。宇とは家を意味します。

恩師田中智学先生が考えた「一つになる」とは、世界中の国や民族を同じものにすることではありませんでした。

国には国の歴史が、民族には民族の文化、
人には人の個性がある。

それぞれの違いを失わせるのではなく、それぞれが持つ特色を生かしながら、より大きな調和をつくっていく。智学先生は、そうした考えを「道義的世界統一」として論じました。(「日本国体の研究」より)ここに日本の「和」という考え方との共通点を見出せます。

和とは、皆が同じになることではありません。異なる考え、異なる文化、異なる立場を持つ者が、それぞれの違いを認めながら、それでも共に生きていく。そのための知恵が「和」なのだと思います。

一方で、「八紘一宇」という言葉が、大東亜戦争の戦時下において国家政策を表すスローガンとして用いられた事実もあります。
大切なのは、この言葉はどこから生まれたのか?田中智学先生は何をそこに込めたのか?その後の時代は、この言葉をどのように用いたのか?この三つを混同すると支離滅裂になりかねません。
もう一つ、考えたいことがあります。
日本国は長い歴史の中で様々な地域、文化、考え方を持つ人々によってつくられてきました。違いを抱えながら一つの共同体として続いてきた。八紘一宇を現代に語るのであれば、それを単なる過去の標語として用いるのではなく、違うものを排除せず、違うものを同じものにもしない。其々を尊重しながら、共に生きる社会を実現する為に先人の思想から何を学べるのかを考えていくと、田中智學先生の直弟子であった石原莞爾将軍の
「五族協和」思想が斬新なようで慈愛にも満ちていたと思えてきます。

呉竹会は、先人の言葉をそのまま繰り返すだけの会ではありません。先人がどの様に考え、何を後世に託そうとしたのかを学び、その知恵と胆力を今を生きる私達自身の現実的な言葉で次の世代へ伝えていく。

「八紘一宇」もそのように向き合うと、より深みを増す言葉のひとつではないでしょうか。呉竹会代表 望月万葉

 

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